11月20日は77年史学科卒の同窓生で、歴史小説家の植松三十里(うえまつみどり)先生を
お招きし、「栞の会」始まって以来、初めての「拡大!!栞の会」を開催いたしました。
当日は小雨が降り、真冬のような寒さでしたが、
埼玉支部の会員だけではなく、他支部にもお声がけをした結果、
23名の参加がありました。
植松先生を囲み、和やかなひと時を過ごすことができました。
課題図書は先生の新刊『鹿鳴館の花は散らず』でした。
植松先生から、『鹿鳴館の花は散らず』を書くに至った経緯を
お話いただきましたが、今までの小説で、
丁寧に取材や調査をした経験が結実した小説だったということがよくわかりました。
作家デビューは2002年で 『桑港にて』
(文庫化の際に『咸臨丸サンフランシスコにて』に改題)
で歴史文学賞を受賞されていますが、その半年前に、短編小説で九州さが大衆文学賞の佳作を
受賞し、佐賀で開かれた授賞式に出席。
そこで幕末の佐賀藩に反射炉があったことを知りました。
反射炉は、佐賀藩が海外からの脅威に備えて、
鉄製の大型大砲を製造した画期的な巨大炉でした。
開国前でしたので、オランダ語の原書を参考に、日本人だけで建てたそうです。
反射炉を題材にした小説は、岩波書店の『科学』で2年間連載されましたが、
これを大幅改定した幕末プロジェクトX的な小説が『黒鉄の志士たち』です。
佐賀藩10代藩主・鍋島直正を主人公にした小説の連載が始まります。
この連載小説が『かちがらす』として出版されました。
「かちがらす」は朝鮮半島に多く生息する「カササギ」のことで
現地ではこの鳥のことを「かち」と呼んでいるようです。
「かち」は「勝」に通じ、武家には縁起がいいとされて、
秀吉の朝鮮出兵の際に移入され、佐賀平野に放たれました。
「かち」は山を越えることができず、
佐賀の土地に生息繁殖するようになったとのことです。
佐賀では、黒い羽を持つこの鳥のことを「かちがらす」と呼び、
小説の題名になりました。
その後、植松先生のブログに、日赤の広報の方から書き込みがあり
本社の展示室で開かれていた佐野常民の企画展に誘われました。
佐野常民は元佐賀藩士で、日本赤十字の父とよばれる人です。
それで企画展に行ってみたところ、
最後の佐賀藩主夫人だった鍋島榮子が、
赤十字に尽力したことを知り、彼女の人生を調べることになります。
歴史の表舞台に出ない人の人生を掘り起こすのが、
小説のテーマにしておられることから、鍋島榮子の生涯を書いたのが、
この『鹿鳴館の花は散らず』です。
『鹿鳴館の花は散らず』以外にも、今まで書かれた著作の創作裏話や、
12月20日に発売予定の『侍たちの沃野』のお話も伺うことができました。
植松先生のお話が終わった後、参加した方の色々な質問や感想が活発に交わされました。
和やかな雰囲気の中、とても楽しい時間になりました。
植松三十里先生、ありがとうございました。
植松三十里公式HP https://30miles.moo.jp/
植松三十里ブログ https://note.com/30miles/