連日の猛暑ですが、皆様いかがお過ごしですか?
「栞の会」 体調を崩された方がいらっしゃいます。
この暑さでは、体調を管理するのも大変です。
皆様、お体を大切にお暮らしください。

さて、今日のご報告です。

紹介者:S.Mさん


博士の愛した数式 (新潮文庫)
小川 洋子
新潮社
2005-11-26
紹介者:A.Nさん


紹介者:A.Nさん


藤壺 (講談社文庫)
瀬戸内寂聴
講談社
2016-05-13
紹介者:A.Nさん

「源氏物語」は54帖でできていますが、藤壺(光源氏の父である、時の帝の愛する中宮)
との禁断の恋が書かれた「輝く日の宮」という帖がかつて存在し、
藤原定家の書いた源氏物語の注釈書にもそのことが書かれてあり、
昔から帖の有無が論議されてきたそうです。  

 2008年に源氏物語成立から千年ということでの源氏物語大ブームが起きる5年前、
寂聴氏は、式部が源氏と藤壺が初めて結ばれる場面を書かないはずはないと思い、
再現作を書き始めました。
が、次の年、丸谷才一氏が「輝く日の宮」という小説で実在説をとなえ、
再現作を刊行し源氏ブームに火をつけました。
そんな中での寂聴氏の発表でした。

 丸谷氏は紫式部がこの帖を没にしたのは、
パトロンの藤原道長によるものとしていますが、
寂聴氏は一条天皇によるものと考えているようです。
いずれにせよ時の帝、しかも自分を愛してくれている実父である帝を裏切って
その夫人と通じてしまうことが、恋愛謳歌の当時にあっても大罪なことは確かで、
虚構とは言え著した紫式部はかなり大胆な人物であったと想像できます。

 「輝く日の宮」では長すぎて他の帖との釣り合いが取れないということで、
寂聴氏は「藤壺」という題で現代文と古文を両方創作しました。

 読みながら寂聴氏そのものだと思いました。
まろやかで、艶、気品があるし、緊迫した場面のぐんぐん読ませていくスピード感。
丸谷氏が古歌を多く取り入れて教養あふれる知的な男手の文学だとしたら、
寂聴氏の方は、柔らかさが引き立つ艶の世界、女手の文学だと思います。
式部が書かなかった性の場面を描き出しています。

 構成も、丸谷氏の方は光源氏が藤壺との初の逢瀬を夢に見て、
それを実現しなければならないと女房の王命婦に頼み、
彼女の要求=金銀財宝などいらない、あなたが欲しい、を聞き入れて果たし、
「やがて力がみなぎってきた(これって男の実感だと思います)とお感じになって、
手引きのことを催促なさ」りいよいよ出陣というところでTHEEND
読者は源氏君頑張れよと禁断の恋にエールを送るのでした。
暗黙の了解をするときのふたりの「をを」という表現もまた面白いです。
丸谷氏、一杯やりながらお書きになったかしら?読んでみて下さい。

 それに対し、寂聴氏の方は、愛する娘・葵上のもとに足が遠のき
4年経つも懐妊のないことに苦しむ父の姿で始まり、
そんなことなど想像もせず、ただただ藤壺の寝所に忍び込みたい若く無謀な源氏の姿が描かれます。
その時代に高貴な女のもとに忍び込むのは仕えている女房・王命婦を頼りにするしかありません。
悶々としていたある日、誘われるように入った家で、
女を押し倒すとなんとそれは王命婦、
「女は体で結ばれてしまえば、どの女もみなどのような要求にも応じてくれる
ということを源氏の君は覚えて」いたとありますが、
「寂聴さん、これを言ったら光源氏の光が50ルーメンくらいに落ちません? 
いくら高貴でイケメンとはいえなんと傲慢な!」
「源氏はその頃は若かったのよ。」
「空蝉のように、絶対思い通りにならない女性、経験したばかりでしょ。」
「この時はただもう思いを遂げたいという気持ちしかなかったの、私にはよく分かるわあ!」
「分からなくてすいませんね!」(寂聴氏との会話)

それはともあれその後5回(源氏さん、ご苦労様でした)の逢瀬の後
ようやく源氏は三日後に忍び込む約束を勝ち取ります。

 それからが寂聴氏の力がみなぎる想像・創造・筆力の本領発揮。
寂聴さんはそこの叙述を待っていた。
短いですから読んでみて下さい。
源氏物語はラブシーンの肝心の部分が曖昧なのです。
空蝉や玉鬘の時のように不成功に終わった時は結構リアルに書いていますが、
成功時には露骨な描き方はしていません、(と、思います)。
さあ、式部の時代から1000年、81歳の寂聴氏に何の足かせ、
いや手かせがありましょうや?
筆は走る、走る!禁断の恋爆発・成功!
読者も放蕩源氏の凱旋にひとまず拍手を送るのでした。
終わって王命婦との会話がいいですよ。

 現文と古文の比較も面白いです。
現文になるとどうしてもリアルになってしまうようです。
お経やラテン語のレクイエム、意味が分からない方が感動するのと同じかしら?

あら肝心の、お二人はこれらの再現作を源氏物語のどこにあったと考えて書かれたのか?
長くなりますのでこれも含めてぜひご一読ください。


紹介者:A.Nさん




素敵な題名だと思い図書館から借りて来たらなんと詩でした。
詩を読むのは直感が働かないと理解するのにかなりの想像力が必要で抽象画と同じ、不得手です。
本著も難しく分からない詩がかなりありました。
また、「分からないけど何かいい!」とジーンと来るのもありました。
そういうのは、ひとまず「引き出しにしまってお」きます。
何度か読んでいるうちに腑に落ちる詩も出て来るでしょう。

ところで本書は、このタイトルの題名の詩があるわけではありません。
訳者お二人の対談によると、著者はこれらの詩を1993年に詩人としてデビューしてから20年間、
長いこと発表することなく「引き出しに・・しまっておいた」のだそうです。
詩は彼女が大事にして「しまってお」くジャンルだそう、
「時間」も著者が大事にしている言葉、「夕方」をどう訳すのかの苦労話も披露されています。

読みながら、「なんでも詩にできるハン・ガンさん!」
「どれもこれも血が通っていて、しかもどれもが清澄・静謐」
「ハン・ガンさんは世界を身体全体で受け止めている」
そして「頭、指先、髪の毛、皮膚、汗の穴、胃や心臓、ランゲルハンス島、
関節、骨・・身体のすべてを駆使して詩が飛び出す」と思いました。
思えばハン・ガンさんの著書はみなそうであるような気がします。
多くの作家は頭でしか書いていない気がしました。

輝きのカラット数はそれほどでなかったけれど、
同じ経験(全くの創作でないとしたらの話ですが)をした詩がありました。
「だいじょうぶ」という詩です。
ハン・ガンさんのこどもも、生まれて二カ月経ったころ、
夕暮れになると三時間くらい泣き続け「どうしたの、どうしたの」と途方に暮れたそうです。
「黄昏泣き」というそうです。
30歳を過ぎてようやくわかった、
「どうしたのではなく、だいじょうぶ、もうだいじょうぶ」
と言わなくてはならなかったと。

私も、夕暮れがだんだん早まってくる9月末に長男を生んで初めて母親になった時、
黄昏になると口を大きく開けて彼は毎日泣いたのです。
深まっていく秋の淋しさのなか、やっとふたりで過ごせるようになったのに、
息子は顔全体を口にしてアアアア泣くばかり。
息子を腕に私はただただ呆然でした。
耳をふさいで一人で玄関を出たこともありましたっけ。遠い思い出です。

76歳になった私は、今50歳近くの息子を前に「だいじょうぶ」と言わねばならない。
彼の人生はまだまだ長い。
彼がこれからどんな困難に出会っても、災害でさえも「だいじょうぶ」といわねばならない。
私はもう何が起きてもオロオロしてはいけない、
これからはどんなことにも「だいじょうぶ」といわねばならない、そう思ったのでした。


臨床のスピカ
前川 ほまれ
U-NEXT
2024-08-23
紹介者:Y.Oさん



京屋の女房
梶よう子
潮出版社
2025-01-04
紹介者:Y.Oさん



孤城 春たり
澤田瞳子
徳間書店
2024-11-29
紹介者:Y.Oさん



紹介者:Y.Oさん



秘仏の扉 (文春e-book)
永井 紗耶子
文藝春秋
2025-01-08
紹介者:Y.Oさん


法隆寺夢殿・救世観音像を撮影した写真家小川一真氏に関する資料は
以下です。
小川一真の「近畿宝物調査写真」について

紹介者:Y.Oさん




国宝上青春篇 (朝日文庫)
吉田 修一
朝日新聞出版
2021-09-07
管理人:A


国宝下花道篇 (朝日文庫)
吉田 修一
朝日新聞出版
2021-09-07
管理人:A