昨日、今日と30℃を超える真夏の暑さです。
私は、暑さになかなか体がついていきませが、「栞の会」の皆様は、元気いっぱいでした。
さて、3月4月とNさんから、韓国の小説家、ハン・ガンさんの
小説の紹介文を、いただいております。
引き続き、ご覧ください。
紹介者:A.Nさん
「少年が来る」ハン・ガン(読後感想文③)
【登場人物】
トンホの家族 年齢は光州事件(1980年)が起きた年のこと
トンホ=本書全体の主人公(中学三年生・16歳)
下の兄さん=三浪中・21歳・顔が大きくひげが濃いのでおじさん臭い
上の兄さん=ソウルで暮らす9級公務員・小顔で体小さい
父=腰を痛めている
母=大仁のレザーショップに勤める
パク・チョンデ=父親は大田で働いており、トンホの家の敷地内に間借りをしている
同級生・不細工・姉に内緒で集金のアルバイトをしている
チョンミ姉さん=チョンデと同居している姉・小柄で可愛い・20歳・紡織工場勤務・
残業ができない時代になり学校に行こうとしている・
ソンヒのもとで働いていたことがあり光州事件の時ソンジュの靴を拾っている
遺体が安置されている尚武館の仲間たち
キム・チンス兄さん=リーダー・女の子みたいな綺麗な顔のソウルの大学の新入生生
キム・ウンスク姉さん=スピア女子高校の3年生・八重歯・愛らしい顔立ち
イム・ソンジュ姉さん=21歳・ブティック裁縫師だが失業・
その前はソンヒ姉さんと紡織工場勤務、その時デモに加わり体を損傷
光州事件後のウンスクの勤務先の編集室の人たち
ムン社長兼編集長=初老・いつもぐったりして見える・翻訳者の高校時代の同級生
パク嬢=明るい19歳・社長のチョン社長
<この人誰?ムン編集長が社長を兼ねているはずでは?と疑問ですが、
ほとんどチョン社長については書かれず>が父の従兄弟
ソ先生=作家・当局の監視にもかかわらず演劇を強行
翻訳者=イギリス出身・指名手配中・人物の登場はないが、
作者は「6つ目のビンタ」の小章で彼の著作の引用を長く引き、
ウンスクにそんな文章すら信じないと語らせている
ユン代理=制作部・妻が臨月
イム・ソンジュ関係
ユン=ソンジュに光州事件の証言者となってくれるよう取材を求める・
そうは書いていないがウンスクの勤務先にいたユン代理と同一人物か?
ソンヒ姉さん=ソンジュがソンヒのもとから離れようと決心した際、
労働問題から逃げていると攻めて10年間ソンジュから恨まれている
労働運動の闘士・クリスチャン
パク・ヨンホ=ソンジュが勤務している放射性物質や添加物や化学肥料などの
フォーラムやイベントを扱う事務所のチーム長・小さめの丸っこい体格、
髪の薄さを気にして前髪を垂らしている
チンスと監獄に収監された人物たち
「私」=名前は明かされず「鉄と血」の語り部・光州事件当時23歳の教育大・
チンスたちとともに銃を持って戦おうとしていたため拷問を受ける
「先生」=上記の男にチンスの取材を求めて来た人物
キム・ヨンジェ=16歳・小学校を出ただけで母方の叔父の木工所で働いていた・
光州事件で逮捕されチンスの親戚であるらしい。
判決で精神病院送りとなる。
【あらすじ】
第一章「幼い鳥」書き出しから「君」として登場するのはトンホ。
<表題は、トンホが惨い死体を見て魂を「人が死んだら体から抜け出る幼い鳥」と
表現したことに基づいている>
少年トンホが、友人のチョンデと彼の姉を探すために遺体安置所である尚武館を訪れ、
そこで出会ったチンス兄さんやウンスク姉さん・ソンジュ姉さんを手伝って、
軍に殺された人々の遺体の納棺を記録することになる。
年の割に華奢で周囲に心配され帰れと言われても
危険を顧みずチョンデを探すことを諦めない。
母が下の兄さんと連れ戻しに来ても帰らない。
<ここでトンホが死者にともすろうそくの場面がある。>
二章「黒い吐息」語り手「僕」は死後の魂としてのチョンデ。
<表題は、魂になったチョンデの戸惑・不安・嘆きを表している。>
死んで体が灰になると魂が遊離し自由に飛び回れる魂となる。
腐っていく自分を見つめどうしてこうなってしまったか?
姉ちゃんはどこにいるのだろう?と思うチョンデの魂。
「君」=トンホとの懐かしい思い出、姉のチョンデが撫でてくれた時のこと、
その胸に一度手を触れてみたかった初恋の彼女のこと等が回想され、
姉ちゃんのいるところに行こう、君のいる家に行こうと思う。
が、チョンデの魂は花火のような炸裂音を聞き、
トンホが死んだ瞬間を感じる。そこで終わる。
1980年から数年後のこと
第三章「七つのビンタ」いきなり出て来る「彼女」はキム・ウンスク
彼女は光州事件後の軍事政権下で、父が亡くなったため大学を中退し
検閲対象となるような小さな出版社に勤めている。
翻訳者に逮捕状が出ており検閲課から取り調べを受け、
白状するよう受けた七つのビンタ<表題>を
7日かけて忘却していこうとするストーリーである。
忘れようと努力をしながら彼女の受けた拷問の理由と残酷さが明かされ、
トンホとの出会い、どんなにトンホに帰るよう促したか、
自分は最初から生き残ろうとしたわけではなかった、
と光州事件の時のことが回想される。
「七つ目のビンタ」のかわりに「雪片」と付けられた最後の小章は、
検閲課に出していた戯曲集が真っ黒に黒塗りされて返され、
とても公演などできないと思っていたところ、
私服刑事の厳しい監視の中、ソ先生のアイディアで行われる演劇
<作者はどんな方法を考えついたか読んでください>について書かれている。
光州事件で生き残った人々の慟哭と死者への弔い、
ウンスクは、骸骨を持った少年の役で現れた少年の姿にトンホが重なって見える。
最後の言葉「春に咲く花々の中で、雪片の中で・・・・君(トンホ)が
挿したろうそくの炎が。」は、もうすべてを信じなくなっているウンスクに
ほのかな光を感じさせている。
<これは表紙のろうそくにも繫がっている。>
第四章「鉄と血」語り部「私」はチンスと監獄で一緒だった男・名前不明のまま
「私」はチンスと一緒に釈放されてからもチンスより生き延び、
チンスの死を心理的に解剖していると言う「先生」の要請で、
チンスとの係わりを話すことになる。
道庁で銃<表題の「鉄」>を持って死を覚悟した戦いの心理状況、
監獄で受けた惨い仕打ち、とりわけチンスが受けた拷問、
無いに等しい配布食糧による飢餓・・
そんな中で16歳のキム・ヨンジェが少量の食事を奪い合う大人たちをたしなめる姿、
何が食べたいかと聞かれてサイダーとカステラを食べたいと目をこする姿は印象的。
釈放されて2年後、タクシー勤務をしている「私」がチンスに偶然出会い、
何度か飲むことになり10年の歳月が流れるが立ち直れずにいるチンス。
ヨンジェが精神病院に入れられることになったという話をしたのが最後の出会いとなる。
遺書と一緒に銃弾で倒された子どもたちの写真が残されていた。
なぜ人間はこうも残忍になれるのか?問う「私」。
「まだ生き残っている恥辱と戦う、私が人間だという事実と戦う」という決意で終わる。
1980年から20余年経った後のこと。
第五章「夜の瞳」「あなた」と書かれる主人公はイム・ソンジュ(この時43歳)
「月は夜の瞳だと言った。」と、ソンジュとソンヒとのほほえましい思い出で始まる。
小章を時刻で表し、ドアの取っ手にかけていた乾いたタオルからおちる
「水の音」を象徴的に用い、それがやがて誰のものか分からない足音に変わる=
書いていないがおそらくトンホ、という手法を採って、
かつても今も辛く孤独なソンジュの人生に
少し希望が見える書き方になっている。
光州事件の論文を書いているユンに証言者となってテープを興すように頼まれ、
それを受けるか否か?
姉と慕った労働運動の闘士ソンヒに「逃げた」と責められ、
そのことを恨み続けて10年、癌治療で入院しているソンヒの見舞いに行くか行かないか迷う。
この二つを軸にソンジュの過酷な人生と反省の独白が書かれている。
<時系列に沿っていっぺんに説明する手法を採っていないので分かり難い。>
1980年から30年経ったあとのこと
第六章「花が咲いている方に」「母ちゃん」はトンホの母
母親が死んでしまった我が子に呼びかける鎮魂の子守歌。
1980年5月を生き延びてしまったが故の苦しみと絶望が、
「……ねえトンホ」という呼びかけの言葉とともに、
えもいわれぬ重く悲しい響きとなって語られる。
だが最後、母ちゃんがお前の手に引っ張られて歩いたとき、
「なんで暗いとこに行くの、あっちに行こうよ、お花が咲いている方に<表題>。」で終わる。
エピローグ 雪に覆われたランプ
作者のこの小説を書くに至った経緯とこれからの決意が書かれている。
作者はソウルに移った10歳の時、彼女に聞かせないようにひそひそと話す大人たちの声で、
前に住んでいた光州市の中興洞の家を買ったのがトンホの家族、
トンホを教えていたのが作者の父であることを知っていた。
あれから30年、作者は「光州事件のことを書く」決意をし取材中トンホの兄に出会う。
「私の弟を冒涜しないように書いていただきたい」が彼の希望であった。
雪に覆われたトンホのお墓の中から中学の生徒記録簿の拡大白黒写真を見つけ、
ろうそく(ランプではない)に火をつけ、炎を見つめ続けるところで本書は閉じられる。
<トンホが死者のために挿したろうそくに(第一章)、
ウンスクが演劇で見たろうそく(第三章)、
作者がトンホために捧げたろうそく(エピローグ)、
作者は表紙を一本の大きなろうそくの絵とし、
次の扉に沢山のろうそくの絵を飾ることにより、
多くの死者たちの魂を読者とともに弔らおうとしたのだと思います。
偶然にも私がこの文を書き終えた日は、光州事件が勃発した45年後の5月18日、
次の日の朝日新聞に今なお追悼式典参加にもめる様子が書かれていました。>
さて、③で終わるつもりでいた「少年が来る」の読後感想文ですが④を書きたいと思います。
トンホやヨンジェを除いては事件にかかわった人は皆インテリです。
惨い事件の中、彼らはどういうきっかけで抗議行動に入り、行動中何を思ったか?
行動後何を思って生きているのか?=作者は本書で何を問い何を思想したか?
作者はこの辺りを太字で強調して書いていますから纏めてみたいと思います。
「菜食主義者」ハン・ガン /きむ ふな訳
読後、戦慄し号泣しました。
これほど人間の「生」の根源を追求しようとした本(文学)はあっただろうか?
暗い森の中で自分(顔)が生肉を食べた夢を見てから肉を食べられなくなり、
家族に肉を食べるよう強要される(『菜食主義者』)、
蒙古斑のある身体に花をペイントされてから恐ろしい夢を見なくなった(『蒙古斑』)、
最後には木になりたいと水しか飲まなくなって
治療を精神病院で強要される(『木の花火』)菜食主義者・ヨンヘ。
生きるというのは何と困難なことか?
時間だけは止まらず動いていく。
著者はヨンヘの苦悩と苦痛を、表紙にある玉ねぎの皮を一枚一枚剥くように
壮絶なまでに追及し、人間の実存=人間とは何か?に迫ったのだ。
と、私は「菜食主義者」はあくまでも実存というテーマの媒体と思っていたのですが、
この後著者のあとがきを読むと、どうやら著者は植物と動物の関係性を
書きたかったようなのです。
「この小説を書いていたころ、バスを待ちながら、なにげなく街路樹の根もとを触った」時
「湿っぽい樹皮の感触が、冷たい氷のように、胸に数えきれないほどの
ひび割れができました。
生きているものと生きているものが出会ったということを、
そして、もう手を放して、さらに歩まねばならないということを、
その瞬間、私は認めざるをえませんでした。」
勿論、本書は著者の言うように植物と動物の相克です。
両方を同じ土俵に載せて戦わせたともいえる作品です。
最後はこう終わっています。
木になりたがっているヨンヘを病院に運ぶ救急車の中で、
看病している姉が、夏の光に花火のように燃える木々をにらみつけて抗議、
その「彼女の視線は暗くて粘り強い」とありますから、
著者は、植物と動物の相撲は、行司である著者が傷つく=ひび割れができたので、
いったん中止にして「さらに歩」むことを選び、
人間界を中心に描くことを決意した、そこまでは書いていませんが。
つまり本書はあくまでも同じ生物としての動物と植物の相克を書こうとした
最後の著作であったようなのです。
訳者のあとがきを読むとそのことはすぐに分かりましたが。
このズレは、私を大仰に「実存に迫った作品」などと
号泣させるほどの力を持った作品=形而上化して読ませる力、
を持った名品である証であるのかもしれません。
著者は表紙に大きな玉ねぎを一つ書いています。
表紙の次の表紙にも玉ねぎを今度は沢山並べています。
私は不思議に思いました。
著者の言うように、本書が生き物と生き物の関係性を描こうとしたなら、
ヨンヘがなりたかった、そして、姉が乗り越えようとした
「夏の光に花火のように燃える木々」を表紙に持ってくるべきだった。
玉ねぎにしたのはなぜか?
菜食主義者となっていく過程をとことん追い詰めていこうとした手法の象徴、
それだけなのでしょうか?
玉ねぎをお借りしてこの本だけ(著者・訳者のあとがきなし)を読んだ私の大仰な感想です。
玉ねぎの皮は、自分が何であるかを希求する人間が一枚一枚
剥いでいくために用意されたもの。
菜食主義者のヨンヘを始めとして、語り手に選ばれた義兄・実姉の何と孤独なことか。
でも他人に理解してもらえないという孤独の穴以外に、
人間は自分の中に自分で理解しえない間隙の穴を持っているのだと思います。
意識と身体に齟齬がある。
平たく言えば、人間は自分の存在にどこか納得できないまま生きている。
その齟齬を何とかしようと玉ねぎの皮を剝かずにはおれない。
自分の生が何であるのか知りたい、感じたい。
玉ねぎの芯が、希求しているうちに老いさらばえて
小さくなってしまった自分自身の姿なのか?
硬く白く輝く光明なのか?
グニャッとしたただの絶望の白い塊なのか?
分からないのに剥くのをやめられない。
この希求が続くかぎり人間は苦悩する。
私はヨンヘと義兄、実姉に痛く共感し、愛おしくなり号泣したのだと思います。
一読をお薦めします。
ノーベル賞を受賞する作家は骨太い。
一語一文が実に濃厚で、追い詰められていく様子の描き方など見事というしかない。
それ以上に著者の持つ想像力と創造力にただただ脱帽すると思います。
本書は図書館で偶然見かけ、ハン・ガンの作品に魅了されている私にとって、
ラッキーな出会いとなりました。
韓国語の文字は「ナンジャコレ?ただの記号?」、
言葉は「・・・スミダ。」ばかりが聞こえ抑揚がなく暗い。
甲高くうるさい中国語を聞く方が心が晴れるだけまし。
そう思っていた私の眼の鱗が取れました。
感性も大事と思いますが、「知る」ということはまさに「開眼」。
学びが大切とつくづく思った次第です。
斎藤真理子氏はハンガンの「すべての、しろいものたちの」「別れを告げない」の翻訳者です。
ティファニーのアクセサリーのように、
さりげなく輝く素敵なお姉さん(あら現在65歳!)を彷彿とさせる文章。
挿絵(小林沙織作)が独特です。
抽象画・具象画・墨絵を組み合わせたような色はセピア調。
小型版で平易に書かれていますので是非読んでみていただきたいです。
本書は「マル=言葉 / クル=文 ・文字 / ソリ=声 / シ=詩 / サイ=あいだ」の
5章に分かれていますが、2章の「マル」を「クル」にした
朝鮮王朝第4代、世宗大王(1397~1450)には感動しました。
朝貢国でありながら中華を離れ、
母国の言葉を一音一音丁寧に聞き取って
独自の文字を完成させるためのプロジェクトを作った、
ハングル語が定着するまで500年もかかったそうです。
「ただの記号」などといって申し訳なく思いました。
3章の「ソリ」、世宗王が熱心に聞き取ろうとした「声」がまた凄い。
日本語の五十音では掬い取れない、発生するときの口の動きや息の出し方、
喉のつぼめ方等で起こる微妙な発音の違い。
この「ソリ」があるためにK-POPが世界を魅了し、
「歌う詩」となって街にあふれ、韓国はまさに「詩の国」。
政治にとっても詩人は重要な役割を果たしているそうです。
小さなハン・ガンが街にごまんといると思いました。
いかに日本語と韓国語が似ているか、
韓国の歴史の痛み=辛い歴史の連続が嘆きや願いとなって
詩を生んだとも書かれています。
「少年が来る」などまさにその類と思いました。
そして現在も抱える諸問題、それを乗り越える彼らの秘めた力も紹介されていて、
軽い装丁ながら中身の濃い本でした。
最後の方に、著者がぜひ覚えておいてほしいと書いている
「無国籍」の人たちのことについては書いておきたいと思います。
日本の統治下にあっては、みな日本人として「朝鮮戸籍」が作られ
「朝鮮人」と呼ばれ日本国籍を持っていたが、
敗戦を経、1947年(日本国憲法発布)に「外国人登録法」ができると
「外国人」とみなす、になってしまった。
1952年サンフラン条約により、日本が独立の回復をすると、
国家選択の自由がないまま外国人にされ、
この時は朝鮮半島に主権国家がなかったため、
外国人登録証にはすべて「朝鮮」と出身地を示すだけの表記になった。
1965年に韓国とだけ国交正常化すると、
「国籍・地域」欄を「韓国」と変更可能になったが、
ここで迷った人は「朝鮮籍」のままになってしまい、
この人たちは日本が朝鮮民主主義共和国を未承認にしているため
「無国籍」になってしまっている。
私が調べたところによると、「朝鮮籍」を「韓国籍」に変えることはできるみたいです。
「無国籍」を選んでいる人は、いろいろな思いを抱きながら
「朝鮮人」でいようとしているのだろうなと思いました。
現在の北朝鮮の体制に憧れ日朝の国交回復を待っている人、
自分や親や祖父母が育った地として心に刻みたいと思う人、
「朝鮮人」とさげすまれた悔しさを決して忘れずこの先受け継いでいく、と思う人・・・
言葉を聞く感覚はその国への愛情次第で変わる、
と書いてありましたが、確かなようです。
ハン・ガンさんの日本人にあてた本の紹介のユーチューブを聴きましたが、
低めのトーンで話す声には抑揚があって静かなリズムもあり
穏やかに流れるように心地好く聞こえてくるのでした。
韓国を愛し始めている私なのでした。
茨木のり子 1986年 著者が韓国語を習って10年目
斎藤真理子氏が、韓国語を学ぶ楽しさを教えてくれる古典的名著として紹介していたので、
詩集「寄りかからず・・」「わたしが一番きれいだったとき」
以来久しぶりの再会となりました。
作者は1926年(大正15年)生まれ。
50歳を過ぎてから韓国語を学び始めたそうで、
韓国語を学ぶ人のために書いたとあります。
例をふんだんに取り入れて書かれ、日韓の文化の違いがおのずと表れ、
言葉を学ぼうと思わない人にとっても楽しい本、
美しい韓国語を広めたいという気持ちが伝わってきます。
日本語と韓国語が今でも東北に残されており、実によく似ていること、
司馬遼太郎の「韓のくに紀行」読書以来、
そんなに韓国と日本が古くから行き来しているのなら
言葉はどうしていていたのだろう?
と思っていた私の心配は溶けました。
ソウルや慶州等を始めとした各地の旅行記も添えられ、
詩人・茨木のり子の見た日韓の文化比較も大変興あるものでした。
韓国のこどもたちの屈託のないはきはきした物言いとそこに持つ芯のようなもの。
日々過酷な労働を強いられている嫁たちが、
つかの間の息抜きの舟遊びで流れる歌声・・・等。
習ったばかりの韓国語を使いながら初めて見る韓国(初めての海外)の旅が
絵のように繰り広げられます。
50年近く前のことですからもうそんな風景は見られないのでしょうが。
終章「尹東柱」で著者は、日本に留学中独立運動の嫌疑をかけられ
27歳で獄中死した東柱の絶望と孤独な詩を紹介しています。
音楽のように流れ、若さゆえの純粋さを持ち、
読むほどに「核・芯が集約され、隠された意味が重く深い」とあります。
著者はのちに東柱の10歳違いの弟に出会いその人柄にひきつけられたそうです。
「もの静かで、あたたかく、底知れぬ深さを感じさせる人格」、
彼に会うことによって著者自身が「人間の質」を考えて生きて来たことに改めて思い至り
「覚醒がふいにきた」そうです。
著者の芯の強さが目立つ断定調の詩は、
無意識ながら凛として生きていこうと決意した表われであったのかと、
著者の詩についてまで理解できた実に素晴らしい本との出会いでした。
そしてなんと「人間の質」や「品性」「品格」が遠い言葉になってしまってしまったか、
トランプの世になってからは、地球を見捨て、
別な星のもとに逃げていってしまったような気がしました。
韓国語は「ソリ=発声」の豊富さが韓国語を美しくさせていると知り、
日本では?と思っていたら図書館で偶然出会いました。
日本語に関するすべて(音・文字や表記・語彙・文法・資料等)の流れが載せられ、
イラスト入り(漫画)で楽しい本になっていますので、
日本語に関心のある方にお薦めです。
ただ、字が小さく、古文書などは見え難く、
私には少し分かり難い文章があり、他の本で補足したところがありました。
読後、「発声」について思ったことは、日本人は唇を使う音を使わない道、
喉の奥から出る音(母音)を選んできたということです。
その例の2,3を紹介します。
@「は行」について、古代の頃は「PA・PI・PU・PE・PO」と発音していたのが、
平安時代には「FA・FI・FU・FE・FO」になり(どちらも両唇音)、
17世紀末頃に現在と同じ「HA・HI・HU・HE・HO」(喉音)に変わったそうです。
@「わいうえを」は「WA・WI・WU・WE・WO」だったが、
やがて(いつのことか書いてません)「わ」「を」だけが残りあ行に統合され、
現在パソコンに残っている。
@や行の「やゐゆゑよ」の「ゐ」と「ゑ」、
カタカナでは「ヰ」と「ヱ」は「YI・YE」と違いがあった。
いつ統合されたかはわからないが今でも謡では「え」を
「YE」と発音するように指導を受けます。
@1000年頃には大きな変化「は行転呼音現象」がおこる。
語中にあるハ行音が語中にあるとワ行音に変わる。
唇を使う音がなくなってくる。
紀貫之は「川」を「KAFA」」と発音、100年後の紫式部は「KAWA」と発音
このほかにも日本語音の変遷がいろいろ書かれています。
なぜ、テープもないのに発声が分かるのか?
関心のある方は手に取ってお読み下さい。
日本語は雨と飴の違い、つまりアクセントは教えますが
声の出し方の指導はしないと思います。
私は中学に入って授業で英語の発音の口の動きを習った時の気恥ずかしさが忘れられません。
今でも大口を開けて笑うのを見るのが好きでありません。
韓国語の「ソリ」はその点残されているのでしょう。
日本人は五七五など音のリズムのほうに関心が向いていたのかもしれません。
紹介者:S.Cさん
紹介者:M.Sさん
紹介者:M.Sさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:A.Oさん
紹介者:A.Oさん
紹介者:T:Yさん
紹介者:管理人A
紹介者:管理人A


















