あけましておめでとうございます。
早いもので、「栞の会」も50回になりました。
皆さんの熱意に支えられて、ここまで来ることができました。
ありがとうございます。
そして、今年もよろしくお願いいたします。
今日は、A.Nさんから、お孫さんのために書かれた童話の紹介がありました。
製本会社では、印刷部数が少ないと、なかなか注文を引き受けてもらえないことから、
自分で製本なさったそうです。
その話を受けて、S.Cさんからは、製本キットが販売されているという話がありました。
彼女も、製本キットを使って、数学の本を作成したそうです。
今日は、思いがけなくも、本を読むだけではなく、
本づくりの話を伺うことができました。
それでは、A.Nさんが書かれた本の題名、および、読まれた本の紹介から始めましょう。
◆「サンタマルタの海岸で~るなちゃんのクリスマス」
◆「マリー・ローラ・クリスティーヌ・ファルコン・ルナ王国物語~ルナ王女のクリスマス」
2021年1月に受けた癌の手術の後の壮絶な苦痛で始まります。
この後著者は2年の間に6回転移した癌を切り取る手術をしていき、
題名通り「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」となるわけですが、
本書は、「音楽は自由にする」(57歳までの自伝)の続編で、
2023年3月28日に亡くなるまでの活動が書かれています。
私は現代音楽や映画に縁遠い人間ですので、
書かれている世界は、知らない人や物や事が多くしかもそれらは大抵横文字。
クラシック関係の日本の現代音楽家が出てくるとホッとする有様でした。
しかし、大変興味深くスムーズに一気に読んでしまいました。
彼の生涯を知ったことは私の宝となりました。
それほど彼は私たちに遺したものは大きいと思います。
音楽家として生き、小さい時から哲学書を読み、
生きている今の時代を大切にし、政治活動にも参加、
やがて行き詰った資本主義と社会主義、
ボロボロになった地球を何とかしなければという思いに至り、
あくまでも本職の音楽を通して打開しようとました。
頭が下がります、そういう方でした。
しかし彼が神から授かった最大の恩恵は「優しさ」だと思いました。
優しさがなければ、ここまでのマメな行動はしないだろう。
何かが起きるとすぐに友人に発信し、彼らを巻き込んで世界に行動を起こすのです。
自分が体で動けなくても、作曲して送ったり、
寄付金を送ったりと、そのリアクションの素早さ。
政治活動としては、「ロッカショ」の立ち上げから9,11、東北大震災・・・・
最後は明治神宮外苑の再開発の見直しを求める東京都知事へ手紙の送付でした。
彼の優しさが、救う手立てを思いつかせ、人を集め、すぐに世界に発信される、
そして共感となって思いが世界に広がり、やがて多くの人が勇気づけられる。
同世代の人なのに関心のなかった自分が残念です。
そのあと、YouTubeで音楽を聴くと、なんとピアノの音が綺麗で優しいことか?
ずーっと聴いているとオルゴールの響きに聴こえてきました。
曲も私が聞いた限りの曲は自然で優しさがあふれている。
「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」役者としてもなかなかでした。
手術の時家族の優しさに救われたとあるのはやや平凡、
これだけ大変な手術をした後ですから仕方ないですかね。
美智子妃殿下に声を掛けられて直立不動になってしまったこと、
NHKの自伝の番組に出たことを、自嘲気味に書いていました。
少し優柔不断な所もあったのかもしれません。
坂本図書館も出来るそうです。
「夏の終わり」が瀬戸内寂聴の最高傑作の一つだと、
平野敬一郎が朝日新聞に書いていたのを読んだので手にとりました。
大学の先輩なこともあって。
それを読むだけでよかったのですが、自薦短編集ということで7編納められ、
すべて彼女と井上光晴との関係(?)をもとにした恋愛小説です。
どれも、私が著者の本に感じていた、<作品の中にのめり込んだ書き方>ではなく、
「離見の見」というか、一歩後ろで客観的に見ながら書いている作品で、
私には好ましく思われました。
冒頭の「花芯」は、一人称の「私」が自分はどうやら根っからの娼婦であるらしい
という結論に至る、内容は衝撃的な作品でした。
ただ、文体が未完成に感じるところがあり、このようなテーマならなおのこと
格調ある文体で書かなければならないのではないかと思いました。
これがポルノ小説と騒がれ、文壇を5年干されたとあとがきにありましたが、
よくぞ立ち直ってくれたと思いました。
「あふれるもの」「夏の終わり」の二つがなかなか良かったです。
妻子ある男と暮らしながら、他の男にも惹かれ関係を持つことに苦悩する姿が
淡々と書かれていて、でもやはり「妻子ある男」を断ち切れない。
「断ち切れない」とは書いてないけれども、ふたりのやり取りや彼のセリフなどで、
読者に彼の良さが伝わる、別れられないだろうと。
井上光晴がモデルだとしたら、なかなか彼は素敵な男性であったと思いました。
いずれにせよ、複数の男に恋愛感情を持って生きることは大変なのだと思いました。
それぞれのいいところを棄てられない、一人に絞れないまま又新しい人に恋していく。
疲れることでした。
寂聴さんのエネルギーを改めて感じた次第。
出家したのはそれらを断ち切るため、
でも「小説を書く」という恋情は捨てられなかった。
彼女も「小説は私にとってどうやら永遠の恋人」だと書いていましたが、
仏様にそのことだけは許してほしいと願ったのでしょう、
微笑ましいように思いました。
仏様はそんな彼女の願いを叶えてくれました。
前回の栞の会で、卒業生の新たな作家登場とYさんから紹介があったので手にとりました。
題名に対する興味とポップな可愛らしい表紙にもつられましたが、
読むと内容はなかなか深刻でした。
ただ、新しい作家として読んだ青山美智子や一穂ミチと比べ、
スムーズに読んで行けない、説明が過ぎる文体が感じられ著者はなかなか頭のキレ者、
理論先行かな?と思いました。
最後は圧巻でした。何度読み返しての涙が出ました。
ぜひ一読をお薦めします。
「ジューン ドロップ」とは6月頃自然に落ちる若い果実のことで自然淘汰です。
高校生の主人公(しずく)は母と義父が子どもを望みながら、
流産や死産を繰り返し、人工授精も試みるという苦しい状況にあって、
彼女もまた一人で苦しんでいます。
7年前に「お姉ちゃんになる」と両親から告げられた時、
両親の愛を独り占めできないことが許せなく、
散歩の途中にあるお地蔵様にどうか生まれてきませんようにと願掛けをします。
どうやらそれが子供が生まれてこない原因と思い、苦しんでいたのです。
色々あって最後の場面。
今回はなんとか子供がもちそうだと思っていたのに、
産み月になっていないのに救急車で病院に運ばれたという父からのスマホ、
スマホが何度もなっている・・・・
又だめなのだ、泣きながら彼女は、願掛けをしたときのリボンを見つけ、解こうとします。
そこへ似たような悩みを抱え友人になったメイがやって来て
コンビニにカッターナイフを買いに走ります。
メイがナイフを抱えて戻って来る姿が見えた時、
「生まれたって」というスマホの父の声。
それを聞いてメイのほうが泣き出す、6月の淋しいけれど暖かい雨が降り出す・・・
ここで終わるのですが、ナイフを使うことなくしずくの願いは叶えられた、
ここで作者は何を言いたかったのか?
生まれてこなかった子供や子どもの種はみなジューンドロップであって、
しずくの呪いや祈りとは関係ない自然淘汰である、
勿論お地蔵様(宗教)も関係なし。
「ジューンドロップ」という題名がそれを物語っている。
なのか、今こそお地蔵さまがしずくの願いを聞き届けて下さった、
「もういい、十分お前の思いは償われた。
亡くなっていったジューンドロップ達もお前を許している。」
ととらえるべきか?
次回の著者の作品のテーマが待たれます。
昭和52年に刊行された人気作家の卒業生・有吉佐和子の作品。
中身も文章も少しも古くなく今の人たちで十分楽しめるという
栞の会でのYさんの紹介で手にしました。
売れている本として2回も朝日新聞で書評が載り今話題になっているみたいです。
陶芸作家が、陶芸家である父が残した古い土と、
知り合いが家の立て直しで出した廃材の檜を使ってたまたま焼いた一点ものの青磁が、
10年間いろいろな人の手に渡り、巡り巡って作家と再会するお話です。
私が女子大に入学した頃の刊行で、
家を守る専業主婦と大抵は定時に帰ってくる働く主人、
同居する長男夫婦と孫という家族の構成パターンが
くっきり浮かび上がる昭和の時代が懐かしく映し出されています。
やがて、その私たちは女子大を卒業し、高度経済成長とともに強烈な企業戦士の夫を生み、
職業に就かない専業主婦であることに疑問を感じ出し、
子どもの教育に躍起となっていくのですが・・・
上手い作家だと脱帽しきりです。
朝日新聞に「往年のファンに加え、若い人は昭和の空気感、
エンタメ的絶対的安定の筆力に魅了される」と書いてありましたがそれに尽きると思います。
どんな話題が読み手を多くつかむかと時代を読み、
徹底的に調べ上げまとめる、構成も面白い、一寸の隙なく本を完成させる。
私がこの本で得た知識も大きいです。
陶芸のこと、花の活け方やポプリの作り方、外国のセレブな食器やワインの名前、相続の問題、白内障、腰ベルト、カソリック協会の流れ等々知識欲を満たしてくれます。
頭脳が感情を越えている作家なのだと思います。
読んでいても、「そうだよなあ、上手く書いてる、全く同感」と思いはするものの、
読みながら心が震えたり涙を流したり、
怒ったりという登場人物たちと分かち合うところがないのです。
寂聴さんの作品は文章がこれほど完結されていないこともあるのでしょうが、
恋愛なんてろくにしていない私でさえ「いい男だなあ」とか
「これじゃ離れられないよねえ、分かる分かる」
なんて深く心を動かしているのでした。
こちらも卒業生、1962年生まれの史学科卒業の方です。
昨年9月に「図書館と県民のつどい埼玉2023」で講演をしています。
朝日新聞に「第72回芸術選奨文部科学大臣賞受賞作」と紹介されており、
この方は直木賞や柴田錬三郎賞や紫式部文学賞・・・等々、受賞の多い作家ですが、
また芸術選奨文部科学大臣賞とは!
どこのところが受賞されたのだろうと思い手にとりました。
人権意識のない入管法が提起されている「やさしい猫」も一緒に受賞となっていますから、
保守丸出しの文科省の意図を測りながら読むことになりました。
2日で読んでしまいました。
心にジーンと残る作品ではありませんが、簡潔で無駄なく筆を走らせていく文章なので、
引き込まれて面白かったです。
所ははっきり書かれていませんが、清里と思われる駅前が
すっかりさびれた信州の避暑地に建つもとはペンションをしていた
ヨーロッパ風な重厚さが残る「ムーンライト・イン」。
ペンションを閉じて、畑やバラを育てながら気ままに暮らす初老が
ここで3人の女性と暮らしています。
一人は、かつて結婚を誓いながら人妻であったため叶わなかった80を過ぎた車いすの老女
(暴力的な夫が死に、夫によく似た息子に老人ホームに入れられようとしている)。
もう一人は、彼女の友人で、介護士として働いていた時
セクハラをされたはずみで凶暴な男を殺してしまったと思い込み逃亡してきた50代の女性。
もう一人、介護士資格試験に失敗しながらも明るく、
清里の近くに住んでいる日本人の実父を探している20代のフィリピン女性です。
ここに、様々な職業を非正規社員として点々とし今度は解雇され、
すべてを失い流浪の旅に出ようと30代後半の男性がやって来るところから小説は始まります。
それぞれ抱えた問題を解決するところがこの本の主題ですが、
どんどん人間像が肉付けされていき生き生きしてきます。
解決法が普通と言えば普通なのですが、アカデミックで洒落ています。
著者の知性があったればこそ。
暇があったらお読みください。
文科省は著者のアカデミズムを買って受賞したのでしょうか?
図書館のこどもの新刊コーナーにあり、題名に惹かれ読みました。
新月は、見えないけれども月が生まれる元である、やがてだんだん満月になっていく、
大人になろうとしている小学高学年の子どもたちへの応援歌です。
夢の場面と現実の場面が交互に書かれる構成になっています。
何の罪かは書かれていませんが、囚人となってトロイガルト(収容所)に閉じ込められ、
死刑になるのを待ち、「私は死ぬ」と唱えることを強要され続けている子ども(レイン)が、
仲間とともに脱出を試みる、そんな夢の場面と、
その夢の子どもたちに当てはまる実在の子どもたちが、
変声期の悩みや、死にたい気持ちを持ちながら
合唱祭に向け学校生活を送っている実際のこの世での出来事、
この二つが交互に書かれています。
当然夢の方は変わった動物や建物や風景が描かれ、
ハリーポッターとかアニメで簡単に世界がワープするのに慣れている
今の子供たちはすんなり物語の世界に入り込むことができ、
動画にしたらさぞ面白いだろうという躍動的な書き方になっています。
著者のエールは子どもたちに十分に届けられたと思いますが、
私には読み返しも多かったです。
困難を力を合わせて乗り越えて大人になっていく、
ちょっとした夢でもあきらめずに扉をたたき続ける。
「たとえ、真っ暗で、なにもないように見えても、きっと、月はそこのある。
そして、いつか輝くのを待っている」最後の文がこの本のすべてです。
「もの食う人々」が話題になり、彼の著書をいくつか読んでいるうちに、
彼が脳卒中になり左か右か忘れましたが、
半身麻痺に苦しんでいる、それ以来彼の著書から遠ざかっていました。
29年も前のことだったようです。
この度、図書館の新本コーナーで目にして懐かしさいっぱいでした。
素敵な装丁で表紙は誰の絵なのか写真なのか記されていません。
冒頭と途中に散文詩のような文が収められていて、
調べると、彼は詩集で中原中也賞や高見順賞を受賞しているほどの詩人だったようです。
難しい言葉が所々出てきて、知らない哲学者の言葉の引用もあったりして、
知力はまだまだ健在のようです。
時代を読み取る力、美的に作本することを忘れない、なかなか格調高い本となっています。
タモリがテレビ番組で来年は「新しい戦前になるでしょう」と語っていたが、
まさにその通りである、それがこの本のすべてです。
天皇制や戦争責任問題等、戦後の処理を完結していない日本が、
親や祖父の時代の戦争経験者からの声を聞くこともなくなってきた若い世代に引き継がれた。
今年の「太平洋戦争開戦80年の報道企画」の取り上げ方を見て、
著者は日本の精神的、倫理的機軸が音もなく崩れていくのに戦慄したそうです。
被害者意識ばかりが目立った報道もあった。
70年に共同通信社に入社して以来27年間記者として
海外を飛び回った経験者の直観といえると思います。
フランスの思想家レジス・ドウブレの言葉を引用して、
不可逆的(進歩するのみ)なテクノロジーの発展が可逆的(進歩をみない)
政治と結びついて爆発する、今はまさにそんな時代である。
戦争の足音が聞こえる。
彼は癌を抱え、病気の足を引きずりながら深く憂い警告を発します。
共感することしきりでした。
日本の戦争にあっては、日本の特殊性である堀田善衛のいうところの「無常観の政治化」、
丸山真男の「つぎつぎになりゆくいきほひ」という日本人の歴史意識の古層、
これを勉強し直さなければならない、彼はそう言っています。
本書はぜひとも多くの世代に読んでほしい、そう思いました。
辺見さんの上記の本の中で、日本人として読むべき本の中の一冊として紹介があったので、
図書館に行って探しましたら、河出書房新社の「近現代作家集Ⅱ」という立派な本が
2017年5月に刊行されていました。
文字がとても読み易く、昔の本は古い文庫本の小さい文字で読むか、
多くの作品を載せようと文字のぎっしり詰め込まれた厚い全集で読むかしか方法がなく、
これは助かりました。
たった12ページの短いのも助かり(?)ました。
1937年から除隊されるまでの2年間、
中国の戦線に送られていた時の体験をもとに書かれたといわれていますが、
終戦後11年経っての発表で、武田泰淳の原点、
戦後の日本人作家の原点でもある作品といわれている本だそうです。
「汝の母を!」とは中国語で
「他媽的(ツオ・リ・マア)」=「汝の母を性的に犯かしてやるぞ」
という呪いと怒りを表現する中国特有の「国罵」ともいうべき、
悪口を言うときの最後の表現だそうです。
著者は魯迅のこの言葉の解説を冒頭で紹介し、
異民族に占領され続けてきた漢人は、
この悪口を占領している支配者に投げつけたいと思った時が何べんもあったはずだ、
ただ自分は耳でこの言葉を聞いたことがないから
日本兵士に聴こえない場所で投げつけていたのだろうと書きます。
この言葉を作者が聞いたのは田舎町で起きた放火事件の時。
犯人として捕まえた母と息子に、支配者の日本兵が、
罰として多くの人前で息子が母を犯すよう強制したのですが、
なかなか実演しない二人に向かって日本兵がイラついて投げつけた時のことでした。
「だらしねえな、俺がかわりにやってやろうか」
という意味で投げ付けたのだろうと作者は言っています。
その後放火犯人としてこの母子は焼き殺されます。
15年経って作者は思います。
「ツオ・リ・マア」は、母息子が日本兵に投げつけたかったはずの言葉。
なぜこのような皮肉な逆転が起こったのか?
著者はあの時交わされたお互いに聞き取ることさえできない会話
「天のテープレコーダー」「神のレーダー」を創造します。
インテリらしい書き方になってしまっていますが、
これは12ページある本の中で4ページを占めますので作者の極意です。
涙亡くしては読めません。
読んでみてください。
この涙を辺見さんは読者に求めているのだと思いました。
上記以外に、辺見さんが、日本人として読むべき本の一冊として
これも取り上げていました。
私は、20代に彼の著書「ゴヤ」を夢中になって読みふけり、
他にもいくつかの著書に接し、
彼が戦後、戦争の最高責任者・天皇の行幸に旗を振る日本人に絶望し、
スペインで暮らした、そこまでの記憶で終わっていました。
宮崎駿が最も尊敬する作家であり、
この「方丈記私記」のアニメ化を長年にわたって構想していたそうで、
アニメの映像に弱い私ですが、新作「君たちはどう生きるか」を
見に行かなきゃと思いました。
東京大空襲を著者は東京下町で迎えます。
この時の焼け野原を見て「方丈記」を思い出しし、
自分の今と重ね合わせ、日本人全体の政治意識について考えることになります。
鴨長明が生きた時代は、公家政治から武家政治に移る激動の時代、
清盛の貴族政治は終わりを迎えようとしており、
突然の福原遷都、後鳥羽上皇の権力、野蛮な関東武士たちの横行、
そんな中で生まれる法然や親鸞などの新興宗教、
京の都は混とんとした状態でした。
それだけではなく、安元の大火、治承の辻風、養和の大飢饉と疫病、地震など
自然災害に見舞われ、死体は折り重なって死臭を放ち、
飢えに苦しむ民衆の暴動や流浪にあふれたまさに地獄でした。
長明は好奇心の強い人で、見聞に行って細かく記録していますが、
政治の当事者である公家たちはすえた死体の匂いが御所まで漂ってきているはずなのに、
享楽にふけります。
日記にも簡単に記録するだけ。
こんな中、極端な芸術至上主義ともいうべき「新古今集」が
定家によって編まれます。
民衆が危機を迎え苦しんでいるとき、全くそれには触れず、
なぜ400年もの前の古今集に習って本歌取りを基調とした歌を続けられたのか?
定家は源実朝に歌の指南をしたとき、過去の文章に習うように、
しかも現在生きている自分のことを歌うのではなく、
歌う対象も過去に習うようにと教えたそうです。
こうしてこのフィクションに生きる歌の作り方は、
現実世界を見据えることなく、自らもフィクションと化し、
これ以来貴族たちは現実から逃れる、
鎌倉幕府はそうした貴族文化との戦いであった、と書きます。
だがしかし、こうした日本の雅びな宮廷文化の空疎な感覚は
日本人に業のように続いていた。
現実を見ない政治の在り方を戦時中自分は経験した。
軍部は民衆を見ることなく「神州不滅」とか「皇国ナントヤラ」とか
空しいスローガンで国民をあおって戦いを続けた。
この時ほど生者の現実は無視され、
日本文化のみやびやかな伝統が本歌取り式に憧憬されていた時期はない。
支配階級はどうであったか?
公爵近衛文麿は天皇陛下に終戦を薦めますが、
その理由は、資本家と貴族を除いた人々は誰もかも共産主義者であり、
共産革命が起きないように終戦を急ごうとするもの。
要は自分たちの地位を守ることしか考えていない。
あの時の貴族のように。
民衆はどうであったか?
東京大空襲後、何日かして富岡八幡宮のあたりに行ったとき、
やけに焼け跡が整理されており、降り立ったのはピカピカの車に乗った天皇陛下。
周りの民衆は悲惨な状況に置かれている原因はとりもなおさず目の前の人間なのに、
有難がってひれ伏すばかり、それだけではない。
「このような状況になって申し訳ない」と陛下に泣きながらあやまっている。
この光景に著者は衝撃を受けます。
一夜の空襲で10万の死者を出しながら、
最高責任者に責任をとってもって生きようとはせず、死のことを考える。
なぜ死が中軸になるような政治になるのか、
この日本人の優しさを政治は利用してきたのだと。
責任を取らない上の人たちの貴族主義は長明の生きた公家の時代から来ている、
はっきり著者は書いています。
そして長明とは何の関係もない「無常」を政治に利用してきた。
日本人の業ともいうべき根深い無常観は、政治学という学問分野でも、
丸山真男を初めとして、乗り越える課題となって来たそうです。
長明の無常観は無常を嘆くなどという生易しいものではなかった。
体を張って、鋭い目で悲惨な時代を見聞し、
伝統や文化、佛教まで、あらゆるものを否定して方丈に遁世した。
その時「歴史」が見えて来た。
皇族貴族集団、朝廷一家のやらかしていることと、
災瑛に喘ぐ人民のことが等価に見えて来た。
そこに方丈記がある。すなわち彼自身が歴史と化した。
これが著者の「方丈記」理解です。
さてさて、「閑居の気味」と理解されてしまった方丈記は、
中世芸術家たちの憧憬の対象となり、今度は鴨長明自体が本歌取りの対象とされてしまう、
つまり、「ゆく川の流れは絶えずして・・・」と流麗な文章は、
生より死に生きる日本人の姿勢を作り上げていった・・こうなるわけでした。
ぜひお読みいただきたい。戦後26年経って書かれた、戦争を生きた堀田善衛の人生の総決算であり、日本人の総決算だと思います。
戦後のパリの芸術家の世界が書かれていて面白いと友人に薦められ、
厚い本を手にとりました。
著者の高見澤たか子氏はノンフィクション作家。
この本は「私の生涯書いてみない?面白いわよ。」
と毛利真美(父は毛利元就の7男から16代目)から誘われ、
彼女との聞き語りを行い、様々な文献により確実性を高め肉付けを行った、
「画家を目指しパリに渡った女性が画家志望の男性と知り合い、
一つの家で暮らすことになったその生涯を描いた作品」です。
義母と同じ大正15年生まれの当時では珍しい画家志望のお嬢様が、
パリに向かい画家としてどう成長していくのか?
どう生きようとしたか?何を描き、どう描こうとしたか?
絵に向かう心の葛藤や夫との相克を私は期待したのですが、
読後物足りないところがありました。
まだ生きている本人への遠慮か?強烈な個性の依頼者に呑み込まれてしまったのか?
著者の絵画鑑賞の力量のなさか?
毛利真美の「生涯」とあるのですから一代記、
そこまでは踏み込まないのがノンフィクション作家の礼儀なのかもしれません。
ただ、そこのところはご両親と同じ抽象画家であるお嬢さんの右美さんが
終章で補っていました。
父がものすごい癇癪もちで母とのいさかいが絶えなかった、
と書いていますが著者はここまでは書いていません。(以下内容の紹介になります。)
1950年、海外渡航が難しい時代、画家志望の24歳の真美が一人
ラ・マルセイエーズ号に乗船しパリを目指しますが、
同じく同船していたのは遠藤周作・三雲夏兄弟。
この後95歳で生涯を終えるまで、この本は有名人の名前が飛び出す玉手箱。
飛び出すスピードが速すぎて私はここにいちいち名前を書いていられません。
彼女が生きた美術の世界は「藤田嗣二(結婚式に出席)の時代」は終わり、
ピカソやマチスの時代も過ぎ、アンフォルメ運動が生まれようとしている時代。
アンフォルメ運動とは厚塗りの油絵とうねり渦巻く躍動的な形態を目指す運動だそうです。
日本画から油絵に転向していた夫・尚郎はこの運動の中で頭角を現し中心人物として
頂点に立ち人気作家となります。
抽象画家の理解に疎い私は知りませんでしたが、
彼はフランスを始め、アメリカや日本からいくつのも賞を受賞し、
相当海外で名を馳せた画家のようです。
芸術はパリからニューヨークに拠点を移す時代でもありました。
夫の活躍ぶりを目の当たりにして真美の絵は今ひとつ。
ピカソ風な絵から裸婦をモチーフにして、躍動的で柔らかな姿態を、
マチスの色をかなり渋くした地味な単色で描く絵画を追求しますが、
日本での個展の評価も散々。
右美が生まれたこともあり、絵しか頭にない夫が引っ張りだこになり、
サポートをせざるを得ない状況になります。
夫のプロヂューサー・マネージャー・セクレタリーとして生きていくことになります。
毛利の末裔でもともとの貴族趣味があったのでしょう、
彼女は、フランスの上流階級の言葉、見だしなみ、礼儀作法を身につけ、
子どもも徹底したフランス上流階級の教育法。
著者はここで、フランス革命を起こしたフランスがなぜ今だに階級社会なのか?
と疑問を呈しています。
パリでの堂本のサロンはますます多くのクリエーターの集まりとなり大賑わい、
芸術論が飛び交います。
もともと人を包み込む姉御肌の性格を持っていたようで、
彼女の天性ともいうべき社交の精神が発揮され、
お世話になった有名人の何と多いことか。
画家の集団だけでなく音楽家、文学者、評論家等。
付き合った政治家、資本家・・・ジャンルの広いこと。
日本に帰国し居を構えたのは1967年。
パリに始まった政治運動が真美一家を帰国する決意に導きます。
デモがうるさいと。
日本に帰ってからもそれは続きます。著者は書いています。
親友の武満徹が体力をすり減らして連日デモに参加するなか、
真美一家はデモに参加するものを暴徒としか見ていなかったと。
これだけパリ・ニューヨークをはじめ世界を飛び回っている知識人が
政治を考えないわけがない、根っからの貴族であったと私は思います。
東京に居を構えてからも堂本サロンは続き、
そんな中で佑美も画家として育っていきます。
また、1997年真美は再び絵筆をとり、
銀座で個展を開き結構好評だったようです。
70を超えた夫婦はその後脳出血やら骨折やらで入退院を繰り返し、
尚郎は2013年85歳、真美は1922年95歳で幕を閉じます。
山口県の光市で生涯を終えた義母。
広島県の呉市で生まれ世界に飛び立った堂本真美、このスケールの違い。
大正から令和までの時代においてなんと色の濃い真美の人生であったでしょう。
勿論彼女の苦労は書いてありますし理解したつもりですが、
「毛利真美の生涯」は一言で「実に華やかな人生」であったと思います。
93歳になってパリに「シャルロット展」を見に行こうと計画し、
再びキャンパスに絵筆を走らせることを夢見る。
結局コロナでこの夢は実現しませんでしたが、
「まだ自分は絵が描ける」と思える人生、幸せ以外何物でもありません。
最後に私の疑問。
女優の岸恵子は現在91歳、真美さんとパリで重なること多いと思いますが、
確かこの本には名前が出ていなかったと思います。
芸能界では、古沢淑子や石井良子との付き合いは元より、
高峰秀子まで訪ねて来る知らぬ人のないパリ在住の日本人、
彼女に出会うことはなかったのでしょうか?
岸恵子はダリとも交流あることで有名です。
それからもう一人、森英恵さん。
森さんは大正15年生まれ、全く真美さんと同年代。
エレガントで日本風な森さんのデザインはお好みではなかったのでしょうか?
あと、画家の三岸節子。
彼女は、真美の4年後49歳の時パリへ渡航、
63歳の時移住(ブルゴーニュ地方のヴェロン村)し94歳で死していますが、
野見山暁二がパリで出会った時、彼女のインパクトの強さに驚いたと書いています。
先輩としての矜持があったかしら?
それとも、パリはやはり広い?
日本人なら知らない人のいない相当有名なサロンだったみたいですけれど。
紹介者:Y.Oさん
紹介者:S.Mさん
紹介者:S.Mさん
紹介者:M.Sさん
源氏物語の中の登場人物が詠んだ和歌(795首)の中から100首を選び、
それらの解釋とその背景を簡単に述べている。
源氏物語の全編を読み通すことは、これからも出来そうにない私だが、
ここに取り上げてある和歌について、
掛け言葉や関連語を示しながらの解釋は非常にありがたい。
そして読み進むうち、源氏五十四帖:夢浮橋までの全容をたどったことに気づく。
筆者は「序章」で述べている。
「本書は、『源氏物語』から、物語を象徴するような和歌百首を選び出し、
和歌を味わいながら読み進められるように構成されている。
コンパクトに『源氏物語』の大筋をつかみつつ、
そこに含まれる和歌の鑑賞が十分にできるように配置した」
そしてまた、「おわりに」の中でも
「物語の筋は現代語訳で追えるとしても、和歌だけは原文の味わいが不可欠だ。
現代語訳でも和歌は原文のままにしてあるから読み飛ばしてしまっていることが多い。
しかしそれではあまりにもったいない。
和歌を味わいながら物語の筋を追うという逆転の発想で読んでみたらどうなるか。
本書が目指したのはこうしたことである。」
毎日新聞の「日曜くらぶ」(2020)と「サンデー毎日」(2121~2023)に
掲載されたエッセイをまとめたもの。
タイトルの副題にあるように、八ヶ岳、鹿児島県霧島にある山荘を含めて、
自分の周辺に見る自然を感じるままに愛情をもって描写し、
また、身辺の出来事への随想も交えている。
1章から6章まで、発表した年代ごとにくくってある。
それぞれ短いエッセイなので、どの章からも拾い読みが出来、読み易い。
タイトルの「歌わないキビタキ」は、第6章(2022年10月―2023年3月)の中の ひとつである。文体を紹介すると・・・。
初秋の八ヶ岳山荘、テラスに置いてある“食事箱”に集まる小鳥たちの中に
キビタキを見つける。
「歌わないキビタキは別人(鳥)のようだ。
繫殖期の頃の朗らかな彼ではなく何か重い鬱屈を胸に抱えているような。
近々、苦しく長い、命がけの旅にでなければならない
という予感に囚われているのかもしれない。
それは、誰にもわからないことだけれど。」
紹介者:M.Hさん
紹介者:M.Hさん
紹介者:T.Yさん
紹介者:T.Yさん
紹介者:S.Cさん
紹介者:S.Cさん