今日も楽しかったです。
今回は「老後をどのようにすごすか」というテーマの本がたくさん紹介されました。
身近な話題(?)で、盛り上がりました。
それでは、今日紹介された本です。
紹介者:K.Nさん
紹介者:A.Nさん
紹介者:A.Nさん
紹介者:A.Nさん
朝日新聞でブッカー賞候補と知り、手にしましたが、
読んだら前に読んでいたのに気が付きました。
心に印象として残るほどではなかったということかしら?
中学生のいじめを取り上げていて、
今回、残酷で読んでいられないところがあったのは、
私が年老いて、嫌なことから目を背けている証だと思いました。
いじめを受けている気の弱い斜視の主人公と、
いじめを受けながらも心の中でいじめる子たちの優位に立つ理論を確立しようと
もがく同じクラスの女の子、「へヴン」とは、
その女の子が主人公を連れて行った美術館にある作家の絵の題名です。
絵の中に描かれているのは、つらい目にあった2人が乗り越えてたどり着いた最高の部屋だそうで、「へヴン」は女の子が名付けた題名だそうです。
「あらゆるものに意味はなく、すべてはたまたま。」
「嫌ならなぜ嫌と言わないのか?」がいじめる側の論理。
「あらゆることに意味がある。なぜいじめるのか?」と言いよるいじめられっ子。
中学生にしては高尚な口論が繰り広げられます。
問題提起だけで、最後は主人公が、迷っていた斜視の手術を受けることで、
少し光が差すような終わり方ではありますが、
世の中がもっとよく見えるようになれば変われるのか?それは分かりません。
ニューヨーク近代美術館(MOMA)を拠点とした独立した短編5編で成っています。
大きな事件(東北大震災や9,11・・・)をテーマに繰り広げられる作品と
人間模様が描かれています。
それにしても彼女の本はいつも、美術への理解を高め、
美術界(裏話も含め)についても知識を広げてくれる楽しい読み物です。
今回も第一編では、私は、福島県出身でありながら、
福島県立美術館が貴婦人のような美しい出で立ちの美術館であること、
アンドリュー・ワイエスの絵画保有に力を入れていること、
震災が起きた時、「クリスティーナの世界」を借りて展示中であったこと等、
全く知りませんでした。
他の編でも、美術館での監視員の仕事内容、
MOMAがロックフェラー財団によって成り立っていること、
企画をしてから展示に至るまでの輸送をJ含めての緊張と苦労等、
知らないこと、気づかなかったこと満載でした。
ただ、読後としては文学作品としてみた時、
これだけのいい材料を揃えながら、
もっと読者の胸を打つ作品に仕立てられなかったのかなという思いが残りました。
私の感性が弱っているのかな?人物の絡み合いや表現方法が月並みな気がしました。
15年前、静かな田舎町で5人の小学生の女の子が一緒に遊んでいたとき、
その中の一人で東京から来た転校生が殺害されてしまいます。
犯人を見たほかの4人はなぜか犯人の顔を思い出せないまま、
事件は迷宮入りとなります。
娘を喪った母親(麻子)は彼女たちに言いました。
──あなたたちを絶対に許さない。必ず犯人を見つけなさい。
それができないのなら、わたしが納得できる償いをしなさい、と。
小説はこんな簡潔な書き方では始まりません。
3人の子供たちが、大人になってから、麻子への手紙、PTAでの告白など、
一人称での語りにより15年前の事件内容がつまびらかにされ、
その後の彼女たちが大人になってから「償い=贖罪」のために殺人を犯してしまう、
そんな形式になっています。
しかも終章、麻子自身の告白で犯人が明らかにされる、
麻子の発した言葉から麻子へ戻るのです。
「贖罪」などという日本人には縁遠い言葉に惹かれ、読みましたが、
人間の持つ弱さ(他人の言葉に惑わされる、愛されない寂しさに苦しむ、
自分を内向的に追い込めてしまう等)が粘り強く丁寧に掘り下げられています。
最後に4人の中の2人が故郷の事件のあった校庭に行って語る言葉、殺害された友人
「を思いながら、手を合わせる。―どうして、あのとき気づかなかったんだろう。
わたしたちが一番しなければならなかったことを」
「それに気づくための15年だったのかもしれない」
で作者は、いわば答えを出して締めくくっています。
ひどい15年間です。
犯人目撃者と言われた4人が「贖罪せよ」の言葉を抱えながら、
追い込まれ殺人を犯してしまうのですから。
大人が賢くならなければいけないのだと私は思いました。
自分の苦しい立場や気持ちを越えて、子供たちを見つめ、
大きな視野で、どうしたら傷ついた彼女たちを救えるのか、
どうしたら町全体が静かな元の田舎町に戻れるのかを考える。
苦しい時こそ自分の立ち位置を明確にしなければならない、私はそう思ったのでした。
前回の栞の会で取り上げられ、福岡ハカセの人気のほどが明らかにされた本、
新聞やテレビで彼の著作や言動や持論については触れていましたが、
まとまった本を読むのはこれが始めてでした。
いやあ、航海に出るまでのイントロが長いのなんの。
ま、これがガラパゴス諸島理解のプレリュードになっていて、
彼の小さいころからのガラパゴス諸島航海への熱い思いと、
航海にたどり着くまでの長い苦労の道のりが分かるのですが。
この他にも、付録として、小さい頃の虫好きで内向的で読書好きの彼の姿、
取り組んできた学問内容とたどり着いた持論、
テレビ界や出版界の裏事情、
そして、彼の持つ平等の目、読書による広い視野と知性、他者に対する暖かな目・・・
福岡ハカセの人となりまでが理解され、
私の中で栞の会の他の皆様方を越えて(?)彼の評判はうなぎのぼり。
本題「ダーウィンをたどってのガラパゴス諸島航海」がもっと面白い、
書き方がうまいのでしょう、一気に読みました。
たくさん感想はありますが、なぜガラパゴス諸島の動物たちは人間を見ても怖がらず
むしろ人間と遊ぼうとするような行動をとるのか?
の彼の結論にしみじみと感じ入りました。
生命体は同じ起源をもつ他の生命体といつも何らかの相互作用を求めている。
互いに益を及ぼしたがっているし、相補的な共存を目指している。
ガラパゴス諸島の持っているがら空きのニッチ=余裕が
動物たちを主体的な余裕に基づく行動を起こさせている。
のだそうです。余裕がなくなると戦争が起きるのですね。
73歳の私が胸にじんと来た詩人ハカセ・福岡のこの本の中の詩を紹介させてください。
星空を見上げながら、ピユシス(自然=長岡注)の実相を感じた。
生きるものはすべて、時期が来れば生まれ、季節がめぐれば交わり、
そのときが至れば去る。
去ることによって次のものに場所を譲る。
生と死。それは利他的なもの。
有限性。それは相補的なもの。
これが本来の生命のありかた。
ガラパゴスのすべてのいのちはこの原則にしたがって、今を生きている。
今だけを生きている。
全国新聞10紙で連載中の4コマ漫画。
小学3年生のぴよちゃんと猫の又吉は深い絆の仲良し。
ぴよちゃんの家族と学校のお友達、そして又吉を囲む猫仲間。
これらの優しい集団のほんわかした日常を描いている。
猫の吹き出しのセリフも人間のそれに負けない程多く、
猫たちの表情の描写がなんとも可愛いい。
戦後の住宅困窮期から現在まで、住に関係する様々な施策や法律がつくられてきたが、
急速に進む家族形態の変化、少子高齢化、そして経済格差、
という社会変化に追いつけない現状であり、空き家問題もその一つである。
著者は、これからの住居を「つくる」から「つかう」へ、
「所有」から「利用」へ、「住まい」から「暮らし」へ、
そして、「グローバル化」と「ローカル化」を合わせた「グローカル化」を挙げ、
今後あるべき姿として次のように語る。
すなわち、住む人々が循環できる賃貸住宅と、居住関連産業や商業施設、
そして福祉関連施設がコンパクトにまとまった、
地域一体型で生涯100年時代を安心して生活できる住環境の整備が必要であると。
「高齢者向け優良賃貸住宅」制度、
「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給に関する法律」、
「高齢者の居住の安定確保に関する法律」等々、
そしてこれらが一本化されたのが「サービス付き高齢者住宅」である等、
実に身近な問題でありながら、これまで知らなかったことが多いことに気づかされ、
今後も関心を持ち続ける必要性を感じる。
紹介者:M.Kさん
紹介者:M.Kさん
紹介者:M.Hさん
紹介者:M.Hさん
紹介者:K.Mさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:Y.Oさん
紹介者:A.Oさん
紹介者:T.Yさん
紹介者:T.Yさん
紹介者:K.Oさん
紹介者:K.Oさん
紹介者:K.Oさん
紹介者C.Tさん
紹介者C.Tさん
紹介者:S.Cさん
2013年にNHKスペシャル
「”認知症800万人”時代”助けて”と言えない~孤立する認知症高齢者~」
が放映された。
この特集を組むために、さまざまな取材がされたわけだが、
放映しきれなかった内容も多い。
それを、埋もれたままにしておくのはもったいない。
放映できなかった話も、たくさんの人に知ってほしいということで、この本が
発行された。
ここに描かれているのは、少ない年金生活で、生活が困窮しているにもかかわらず、
叫び声をあげられないでいる高齢者の姿だ。
老後に人間らしい生活を送るためには、どうしたらよいか、
国全体で考えていく必要があるだろう。