皆様、お正月はいかがお過ごしでしたか?
12月は「栞の会」はお休みでしたので、久ぶりの感じがいたしました。
寒い日が続いており、今週末は雪になると予報が出ています。
コロナだけではなく、インフルエンザも流行っていますので、
お体に注意なさって、お暮らし下さい。
さて、今月の報告です。
紹介者:A.Nさん
題名は「やさしい猫」、これはスリランカの民話=親ネズミを
猫に食べられてしまった子ネズミたちが、
猫に泣いて訴えると、猫が後悔して自分の子どもたちと一緒に、
子ネズミたちを育ててくれるという話=から採られています。
内容は日本の入管法を扱ったまるでルポのようなフィクションです。
ニュースで、ウィシュマさんというスリランカ人が収監中に亡くなり、
責任が裁判で争われていることは知っていましたが、
この本は日本の、外国人を寄せ付けない入国管理法とその運用の実態について、
どちらかというと無関心だった私に考えるきっかけを与えてくれました。
東北大震災のボランティアで知り合ったシングルマザーの保育士が
8歳年下のスリランカ人と愛し合うようになり、
婚約まで行った寸前、ビザ切れと失業が起こり、
結局不法残留が見つかってしまい、逮捕され帰国命令が出てしまいます。
逮捕からの入管への収容、終わりなき収容期間、強制送還対象からの訴訟。
勝訴率2パーセントに望みをかけ、暖かな弁護士や娘のマヤ(この本の語り手)や
周りの人に助けられ、戦い抜きついに結婚に至る、そんなお話です。
朝日新聞に、近く国会に提出される入管法の不備が指摘され掲載されていましたが、
国内外からも人権が懸念されている日本の入管法、
労働人口減少を目の前にして、なぜ大きな窓が開かれないのでしょう?
みんなが考える入門書になっていると思います。
帝国図書館は、早い時期から福沢諭吉に必要性を訴えられていたのですが、
湯島の孔子廟にそれらしいものが出来たものの不評。
当時の政府による軍備優先の事情があり、
上野の現在の国立国会図書館国際子ども図書館の場所に完成したのが明治39年。
その後、孔子廟に移ったり名前も何度か変えたりし、
戦後は、国立国会図書館に役目を譲り、支部を子ども図書館に置いています。
そういった帝国図書館の歴史と、
著者の描いたフィクションの物語を交互に書き進めていっていますが、
帝国図書館のところには、その歴史とともに、
樋口一葉、漱石鴎外、宮本信子、林芙美子、永井荷風等が通った様子が生き生きと描かれ、
楽しい読み物にもなっています。
物語のところは、著者と思われる一人称の主人公が
帝国図書館のことを書きたいと思って図書館通いをしている喜和子という
風変わりな女性に出会うところから始まっています。
喜和子は母親と二人貧しく生きていましたが、
母親の再婚で一人ぼっちになり、戦後上野のバラック村で男2人に育てられ(8歳)、
やがて再婚した九州(具体的な場所失念)の母親に引き取られ、
結婚するも九州の古い結婚生活に我慢できず、
娘が18歳になった時、東京に飛び出し自由に生きることを選択した女性です。
戦災孤児として過ごした頃の上野一帯の様子が、
帝国図書館の歴史とともに、現在の彼女の置かれた状況と照らしあわされて、
彷彿と描き出されています。
最後の帝国図書館を扱ったところに、
日本国憲法の「GHQ草案」の人権に関する委員に任命された22歳のベアテが、
何冊もの原書を帝国図書館から借りる場面が出てきます。
5歳から15歳まで日本に生きた彼女が、日本では女性がいかに虐げられているか、
それはまさに喜和子の人生と重なっているのですが、
「個人の概念がない日本の女性たちを、私が救う。」
と9日間で作った日本国憲法の女性の権利。
そのおかげで私たちは今ここにこうやっていることが出来る、そう思いました。
長くなりますが、年末に朝日新聞に文科省が(内閣官房が文科省に依頼)、
公立の学校図書向けに依頼文「拉致問題の関連本の充実」を送ったことが、
「図書館の自由を揺るがす」と問題視された記事が載っていました。
本書も、軍国化していく政府の要請で、
毅然と図書館の独立性を訴えられない館長のもと、
検閲や保管や疎開が行われていく様子が書かれています。
ただそのおかげで貴重な本が保護されたのも事実なのですが、
「図書館の自由」が無くなるのは恐ろしいことだと思った次第です。
昨年の2月にアマゾンオーディオブックのために書き下ろされた
短編6編の集まりに「春のこわいもの」と題名を付けています。
病気、整形マニア、介護をされている老女の性、
「あなた」を主人公にして書かれる淋しさ、
同じ学校の女の子にもらった手紙を失くしてしまい困惑する男の子、
娘を溺愛する母親と親しくなって起こる娘の友人の困惑。
ちょっとしたこと、やり取りに「こわいもの」という雰囲気をまとわせています。
ごく普通の日常を切り取り、「こわいもの」を透視し、
物語に仕立てる著者の力量が読みどころと言える本でした。
読むのがこんなに大変だったのは初めてかもしれないです。
ひと月近くかかって読了。なぜ途中でやめなかったか?
話がどうなるのかが知りたかったから。
名著と言われているがなぜなのか?を知りたかったから、です。
とにかくディテールが凄い。
隅々まで丁寧にこれでもかこれでもかと、言葉を重ねて作り上げていく。
同じことを言葉を変えて畳みかけていく。
ある場面を説明しながら、過去に戻ってみたり、
空想を長々と取り入れたり、しかも大阪弁が入り、読みにくいことこの上なし。
ドストエフスキー、スタンダールと昔読んだ作家の記憶がよみがえりました。
近くはイシグロカズオの作品。
読むのに根気がいりました。
この方は海外でも高く評価されていますが、きちっと言葉で説明する、
行間や文と文との間というものから読み取らせるようなことはしない、
そこが西洋人に好まれる一因であることは確かだと思いました。
内容は芥川賞を撮った「乳と卵」を練り直し、
8年後の出来事を加えて長編小説にしたものです。
前半は「乳と卵」と全く同じ。
大阪で貧しい環境で育った姉妹、シングルマザーの姉が
二次性徴を迎えようとしている中学生の娘を連れて、
小説を書きたいと少し思っている妹のところに二泊三日でやってくる。
その目的は豊胸手術。
その素材で「生命とは何か?」を考えようとしたのだと思います。
8年後の後半、姉の豊胸手術のことは抜け落ち、
主人公である38歳(?)の妹が小説書きが進まない中、
子どもに「会いたくなり」つまり欲しくなり、
彼氏がいないままどうやって子供を作るか?
いろいろな方法とそこから生ずる諸問題を
丁寧な調査と彼女の経験と想像力で書き出されます。
「産む」「生まれる」とは何か人間の根源を描こうとしています。
重いテーマをこってりした文章を武器に、
どこにでもいそうな少し貧乏の女性を登場させ、
彼女たちが話す大阪弁が醸し出す軽やかさでテーマを身近なものにする、
大した作者だと思いました。名作に賛成。
図書館で題名と表紙の絵にひかれて借りて読みました。
児童書のコーナーにありました。
川上未映子の「夏物語」読了の後だったので、何と読みやすかったことか。
若い方が気楽に楽しみながら幸せになれる、そんな本なのだと思います。
母親を早くに失くし、地味でただ会社に行って働くだけの
つまらないお父さんとの二人暮らしに絶えられず上京。
ブラック会社に勤めたもののつまらなく退社、
そこに父の死を知らせる手紙が届き、
父が一人暮らしていた海辺の家を訪ねることになります。
やがて、父の足跡をたどることになり、
父が地味な人間どころか人のためになる人気者だったことを知る…そんな内容です。
とにかくスピードが速い。どんどん次に行く。読めちゃう。
せりふばかりじゃない、自然描写を心象風景に重ねながら描いているし、
描写力も、最後、ボードでやっと波に乗れ、
父親が味わったと同じことが出来、
父の生き方を理解し感じられるあたりの描き方もなかなか優れている。
それなのに絲山秋子著「海の仙人」や
M・G・ヘネシー 著「海を見た日」のようなしみじみとした感動がわかないのは
なぜか考えさせられました。
気楽に描いているから感動が薄いは、あり得ないと思いますから。
言うとすれば、作者が深く主人公と苦しみを共にしていないからだと思いましたが
どうですか?
読んでみてください。
川上弘美の作品は、「センセイの鞄」で「おかしみ(?)」
風に描かれた作品を楽しく読んだことを覚えています。
その後「真鶴」の生きることの悲しみが描かれた世界に、
家族でいたく感動し、今でもそれは、私の中では、
人生で感動した本のひとつになっています。
「水声」のような淡い世界を著こうとしたことは確かだと思います。
夫婦として暮らすパパとママ(どうやら姉、弟らしい)、
パパの子でないことだけは確かな姉弟、
アメリカ帰りの友人とその母親、ママの実家の紙屋を引く継いだ、
どうやら姉妹の実のパパであるらしい男。
そのくらいの登場人物で、朗らかで、自由奔放なママ中心に、
普通ではない家族の関係、姉弟の禁断の恋を描くことにより、
「水声」の世界を作り上げています。みないい人ばかり。
ただ、私には「水の声」が聞けなかった。
著者はつくづく理系の人、知の人だと思いました。
調べたら、お茶の水女子大学の理学部出身、この姉弟と同世代。
戦争反対のデモ・サリン事件・鷹巣の飛行機事故・・・の事件が
ところどころにリアルに織り交ぜられ、
時空を混在させて読者を雲に巻くように描いています。
言葉が、時々昔の言葉を使います。
それは構いませんが、文章が固い。理屈っぽい、書きすぎ。
水の世界には遠いと思いました。
でも私は不思議に最後まで読んだのでした。
それは著者の描く世界に引きずられたというより、
ひたすら彼らの本当の関係が知りたくて読んだのだと思います。
最後まで読めばわかるだろう、でもそれを知ることは出来ませんでした。
そこが、著者の狙いだったのか?
それが「水声」だったのでしょうか?
文字や構成を媒体に、気品あふれる昇華させた高度な純文学作品を作りたいという
作者の意図はとてもよく伝わりました。
紹介者:A.Nさん
紹介者:A.Nさん
紹介者:A.Nさん
紹介者:A.Nさん
紹介者:M.Hさん
紹介者:M.Hさん
紹介者:M.Kさん
紹介者:M.Kさん
紹介者:M.Sさん
シュルツ作のコミック「ピーナッツ」は、登場する子どもたちの会話がユニークで意味深い。
(ご存じのように、スヌーピーはその中に出てくる犬の名前)
桝野敏明は、数多い画の中からピックアップし、関連した禅語を選び、
画と“つかず離れず”で禅の解釈を述べている。
桝野は次のように言う。
「モノクロで描かれ、余白が生きているピーナッツコミックは、
禅に通じるものがあり、登場するキャラクターのセリフにも
禅語と重なる部分が多々見られます。
また、無言でもそこには禅語に通じる世界が広がっているのです。」
構成は、ほとんどの頁が、左に桝野による禅語とその解説、
右頁に谷川の翻訳つきのピーナッツの画。
末尾には個々のキャラクターに対する谷川の詩も載っている。
どの頁をめくっても楽しく読める。
紹介者:M.Sさん
桝野俊明は曹洞宗の寺の住職であるが、庭園デザイナー等多方面でも活躍し、著書も多い。
彼の著書は、生きにくい現代人の悩みに応えるように禅の言葉の意味を分かりやすく述べて、
励ますような内容である。
ある面、平易であり多作であるゆえに、新鮮味がないように見える点もある。
先の「スヌーピー・・・」と多くの禅語が共通する。
キャッチコピーには:「わざわざ特別なことをしなくても、毎日の生活をちょっと変えるだけで、もっとすっきり、ラクに、楽しく生きられる。
そのヒントを「禅」はたくさん与えてくれます。」とある。
全体で100項目の見出し(例=「ボーとする時間をもつ」、「字を丁寧に書く」、
「持ち物を減らす」、「一日、一日を大事に生きる」、
「今、このときに力を出し切る」・・・等々)とその解説があるが、
この中から今の自分にピンときたものを見つけて、新年の努力目標にすることにした。
紹介者:S.Cさん
紹介者:A.Oさん
紹介者:S.Mさん
紹介者:S.Iさん
紹介者:K.Oさん
記憶を失くしていく老いた母親と息子の物語。
先に映画(菅田将暉、原田美枝子、長澤まさみ出演)を観てから原作を読みました。
シングルマザ-の百合子、息子の泉。
母は泉が中学の1年生の終わりに、
ピアノ教室に来ていた妻子ある男性の単身赴任先に黙って行ってしまうが、
1年後阪神淡路大震災にあい、帰ってくる。
しかしこの空白の1年間について母と子は語り合うこともなく、
母がアルツハイマー型認知症になりグル-プホ-ムに入り、
荷物の整理をしていた泉が発見した母の日記でその全貌が明らかになる。
母が見たいと言った半分の花火が、
昔家の窓から二人で見た隣家の屋根のかげに見えた上半分の花火のことだと知った泉は
「あなたはきっと忘れるわ」と言った母の言葉を思い出し、
母はずっと覚えていた。自分が忘れていたのだ、と気づく。
母と息子の濃密な関係、それでも恋人を選ぶ母親、
でも最後は息子の所に戻ってくる。
そしてその先の少しずつ壊れていく母親。
なんとも切ない、でもしみじみとした小説でした。
紹介者:K.Oさん
イオカステはソフォクレスの書いたギリシャ悲劇に出てくるオイデプス王の妻の名前。
主人公の新進気鋭の建築家、青川英樹の母親(恭子)の
パソコンの中にあったファイルに付けられたタイトル。
恭子はバラ婦人と呼ばれ素晴らしいバラの庭園を育てていて、
バラの教室を主宰しているが、毒親の母に育てられた暗い過去を持っていて
その内容が前述のファイルに綴られている。
次男を幼い時に事故で亡くした恭子は、
英樹の妻が妊娠し切迫流産の恐れがあると知り、
異常なまでに執着し嫁を監視し監禁してしまう。
ホラ-のような恐ろしい展開は母親の飛び降り自殺で幕を閉じるが、
母、子、孫と展開していく血の連鎖はフィクションと知りながらも恐ろしく迫力があった。
紹介者:管理人A
久しぶりで、小川洋子さんの小説を読みました。
主人公は「ことりの小父さん」。
「ことりの小父さん」は幼稚園の鳥小屋のお掃除をしており、
園児から「ことりの小父さん」と呼ばれています。
「ことりの小父さん」のお兄さんは、私たちが話す言葉は話せませんが、
ことりとは会話をすることができました。
主人公は、お兄さんが話す言葉を唯一理解できる存在でした。
お兄さんのの思い出とともに、主人公も、
ことりと感情を交わしていく様子が、緻密な文章で描かれます。
ほのぼのとした良い小説でした。
紹介者:管理人A
親子3代の壮絶な人生。
相変わらず底辺で生きていく女性が描かれますが、
人生に苦労しながらも、名もない夜空の星のように、
輝く一瞬があるのだ、という意味合いの小説。
紹介者:管理人A
映画「斜陽」のチケットをいただいたので、観に行きました。
主人公の女性とその恋人、弟と3人の生き様が描かれた映画でした。
恋人と弟は、太宰の人生に対する苦悩が色濃く反映されています。
若い頃、この小説は読んだことがあるのですが、
映画を観たので、もう一度読んでみました。
映画は、ほぼ小説と同じように描かれていると思います。
「栞の会」では、この映画に関して、
「駄作だ」とか、「女々しい男たちだ」などと、色々な意見が出て、
改めて、感じ方は色々あるのだなぁと思いました。
太宰は、個人的には、それほど好きな小説家ではありませんが、
現在歳を取って、自分の人生を振り返ることが多くなったのですが、
若いときの人生の苦悩と、重なる部分があるように思われました。
紹介者:管理人A
美術館で出会う絵が、人生を彩る6篇からなる、短編集。
1枚の絵に、勇気を与えられたり、ビターな人生を味わったり、
様々な人生の一部が描かれています。
紹介者:管理人A
安富歩さんは、50歳を機に「女性装」を始めました。
「女性装」といのは、女性になったというよりも、
女性の衣装を纏っているだけだ、ということのようです。
ですが、現在はレーザーで全身の脱毛をし、
外見は全く女性になっています。
子どものころから、自分の性に違和感を感じていて、
男子と一緒にいるよりも、女子と一緒にいた方が、心が落ち着いたようです。
「女性装」を始めたのは、パートナーの女性(大阪大学で先生をしています)
から、女性の服装をしてみたらどうか、とすすめられて、始めたようです。
前半は、「女性装」を始めた時の経験談。
後半はLGBTに関する考察になっています。